2023年7月24日に北海道すすきのラブホテルで起きた頭部切断事件について
父・田村修容疑者(59)
娘の田村瑠奈容疑者(29)が逮捕されました。
その翌日25日には母親での田村浩子容疑者(60)も
事件に関与していたとして逮捕され、一家全員逮捕という異例の事態となりました。
まさかの一家全員で事件に携わっていたなんて・・・
田村浩子容疑者は看護師なのかまた、パート先はどこなのか調査しました。
【顔画像】田村浩子プロフィール
田村浩子容疑者の顔画像ですが送検される際に姿が映りましたが
顔を隠していたため確認することができませんでした。
名前:田村浩子
年齢:60歳
住所:札幌市厚別区厚別南2
職業:元看護士で美術館の学芸員だった
容疑:死体遺棄、死体損壊、死体領得
田村浩子の仕事は学芸員?
田村浩子容疑者は元看護士で美術館学芸員でした。
絵も描いていたらしいですけど、旭川にいた時は美術館の学芸員をやってらしたので、詳しいです。絵のことは
テレ朝news
田村浩子が学芸員だったことは近隣住民の証言から間違いないと思われます。
旭川に住んでいた頃、美術館学芸員として働いていて絵が上手だったようです。
田村浩子容疑者の描いた絵がこちらだと報じられています。
この絵は、田村修容疑者のFacebookのプロフィール写真にも使用されていました。
現在は学芸員としては働いていないようです。
札幌市に住んでいるのですでに学芸員の仕事は辞めていて
早朝からパートとして別の仕事をしているようです。
奥様は7時ぐらいから仕事ができて、行くようになったという話をしていた。
テレ朝news
田村浩子が学芸員をしていた美術館はどこ?
田村浩子容疑者が学芸員をしていた美術館について調査しましたが
田村浩子容疑者が学芸員として勤務していた美術館は明らかになっていません。
北海道旭川市にはアートギャラリーや専門美術館を
含めると15の施設があることがわかっています。
その中でも学芸員がいる美術館として
下記の美術館に勤務していた可能性も考えられます。
- 北海道立旭川美術館
- 旭川市彫刻美術館
また、学芸員がいる美術館となると国公立の美術館だったのかもしれません。
※2023年7月29日追記
報道により田村浩子容疑者の勤務していた美術館は
趣味は絵画。旭川美術館に勤務していた独身時代、地元の映画愛好家が作成した自主制作映画に、女子大生役で出演したこともある。
独身時代に旭川美術館に勤務していたことが分かりました。
田村浩子の看護師だった経歴も調査!
7月25日の逮捕時、田村浩子容疑者の職業はパート従業員となっていましたが
取材により、元看護師だったことが明らかになりました。
田村修容疑者とは同業者として出会い結婚していたことも明らかになっています。
現在もパートとして看護師をしていた可能性が高いと思われます。
「パート従業員」でありまた60歳という年齢から考えると、札幌市内で勤務していた可能性があります。
近所のクリニックなどで看護師として働いていたのではないでしょうか。
夫の田村修容疑者との出会いは病院
報道によると夫・田村修容疑者と浩子容疑者は
同業者として出会い結婚したようです。
修容疑者の知人はこのような証言をしていました。
妻はパート従業員と報じられていますが、もともとは看護師で、医師と看護師の結婚だったそうです。
引用元:NEWSポストセブン
修容疑者は現在まで総合病院で勤務していたことから
浩子容疑者も同じ職場で働いていたのではないかと予測できます。
夫婦で医療者ということで、今回の事件でもその知識が活かされていたのでしょうか…。
田村浩子のパート先の勤務地はどこ?
田村浩子容疑者が元看護師だったことは分かりましたが
逮捕時はどこで働いていたのでしょうか?
現時点では詳しい情報が公開されていないようです。
浩子容疑者が現在も看護師として働いていた場合
60歳でパートということをふまえるとあまり体に負担のかからないような業務に就いていたのではないかと推測されます。
ネット上では、元看護師ということから
田村修容疑者が勤務していた病院やクリニックで働いていたのでは?
という噂もありますが詳しいことは分かっていません。
田村浩子と田村修は同じ病院に勤務していた?!
上記でお伝えした田村浩子容疑者は
田村修容疑者が勤務していた病院やクリニックで働いていたのでは?
という声がありますが
田村修容疑者は勤医協中央病院で勤務しており
逮捕後に病院側が声明を出しています。
浩子容疑者も同じ病院に勤務していたら二人の名前でコメントを出すのではないでしょうか。
このことから、こちらの病院で勤務していたという可能性はないと考えます。
修容疑者は精神科医で働いていたと報道にありましたので
収入には困っていなかったと思われます。
金銭目的で働くというよりは世間との交流のために働いていたのではないでしょうか。