2023年8月17日にロードレース選手の
埜口遥希選手の訃報が報じられました。
22歳でした。
8月13日に行われたアジアロードレース選手権のレースでクラッシュに巻き込まれたとのことです。
地元の病院へと搬送されましたが16日に死亡が確認されました。
埜口選手の死因や事故映像について調査しました。
報道内容
8月13日、埜口選手はインドネシアの
プルタミナ・マンダリカ・インターナショナル・ストリート・サーキットで行われた第4戦決勝レース2の4周目で発生した多重クラッシュにより重症。
現地の病院に搬送され治療を受けていましたが
現地時間8月16日17時40分に死去したとのことです。
株式会社ホンダ・レーシングの渡辺康治代表取締役社長は
「埜口遥希選手の訃報に接し、突然のことに大きな驚きと深い悲しみを感じています」「今シーズンは怪我から完全復活し開幕から順調に勝利を挙げていたところでした。レースのみならず何事にも前向き、意欲的に取り組む姿勢が印象的で、まだ22歳とこれからの活躍が楽しみだった中での逝去が、本当に残念でなりません。埜口選手ならびにご家族、チーム関係者の皆様に対し、謹んで哀悼の意を表します」
と追悼のコメントを発表しています。
昭和電機株式会社も同日、埜口選手の死去を発表しました。
埜口選手の両親からのコメントを掲載しており
「遥希は、5歳からオートバイに乗り始め、私達家族に多くの感動と喜びを与えてくれました。 今まで遥希を支え成長させてくれた多くの仲間やチーム、応援していただいた皆様に、感謝申し上げます」
とわが子を支えてくれた周囲への感謝がつづられていました。
ファンからは
「信じられないし受け入れたくない」
「残念すぎる。ミニの頃からみてたし、ロードに上がってからも、いつも声をかけてくれてたのに……」
「残念です ご冥福をお祈りいたします」
「埜口選手の走りに勇気をもらいました。応援できて幸せでした。心よりご冥福をお祈りいたします」
など悲しみの声が多くあがっています。
事故の状況を整理
事故の状況を整理すると
埜口選手は後続のライダーに追突されており
多重クラッシュ状態に巻き込まれました。
順番としては以下のような形となります。
埜口選手ともう1台が転倒
後続車が更に追突
転倒が相次ぎ、後続車が後に続いて追突。
次から次へとクラッシュが続き現場は大混乱状態となりました。
埜口遙希のプロフィール
名前:埜口遙希
生年月日:2001年6月20日
年齢:22歳
出身地:奈良県
現在のチーム:MuSASHi RT HARC-PRO
死亡年月:2023年8月16日(22歳没)
戦績
- 2017年-アジア・タレント・カップ ランキング2位
- 2018年-アジア・タレント・カップ ランキング2位
- 2018年-全日本選手権J-GP3 ランキング12位
- 2019年-レッドブル・ルーキーズカップ ランキング3位
- 2020年-全日本選手権ST600 ランキング14位
埜口遙希の死因はクラッシュが原因?
埜口選手の死因は2023年8月13日、
FIM アジアロードレース選手権第4戦
インドネシアASB1000クラスのレース中のクラッシュにより、
多重事故に巻き込まれました。
直接的な死因は一体何だったのでしょうか。
事故に巻き込まれてしまったのは明らかですが
具体的な病名や怪我の症状などは公表されておりません。
今回の事故は多重クラッシュ事故ということもあり
埜口選手は後続者から衝突をされています。
衝突をした際、頭部を強く打ったとの情報もありますので
「頭部損傷」があげられます。
中でも『外傷性脳損傷』は、加わった外力により脳の組織が破壊されてしまう状況を言うようです。
頭部外傷は、下表にあるように「頭蓋骨骨折」「局所性脳損傷」「びまん性脳損傷」に大きく分類されます。頭蓋骨骨折は、さらに「円蓋部骨折」と「頭蓋底骨折」に分けられます。脳に損傷を受けていない頭蓋骨骨折の場合は治療の対象となりませんが、骨折に伴って起きた症状によっては、脳に大きなダメージを受けていることもあり、その重症度はさまざまです。局所性脳損傷は「脳挫傷」「急性硬膜外血腫」「急性硬膜下血腫」「脳内血腫」の4つの病態に分類され、受傷部位と頭蓋骨内部の圧力上昇の関係によって特有な神経症状が現れます。
引用:https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/traumatic_brain_injury/
急性硬膜下血腫、脳内血腫なども可能性が考えられます。
新しい情報が入り次第、追記していきます。
埜口遙希の事故映像
実際の事故シーンが気になる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
実際の事故の瞬間の動画について調査したところ
YouTubeでは大元の動画は削除されていました。
モータスポーツは死と隣り合わせなスポーツと
理解していますがこのような報道に接するのは辛いですね。
埜口選手のご冥福をお祈りします。
埜口遙希は二輪免許は持っていなかった!?
埜口選手がレースを始めたきっかけは
父親がバイクレースをしていたことだそうです。
そこからバイクに興味を持つようになり5歳の時にキッズバイクを始めました。
5歳からバイクに乗っていたらプライベートでも乗っているイメージがありますが
プライベートではバイクに乗らず、二輪免許も持っていないそうです。
驚きですね!
「チームからは取ってくれといわれているのですが、なかなか取りにいけなくて。でも、バイクは一番の趣味ですね。練習で使っているCBR250をいじったりするのが好きなんです」
引用:TVガイド
と話していました。
あまりに早すぎる別れに、ファンからは悲しみの声が相次いでいます。